
悟史の楽書き 第二回
今回、ご紹介するのは『電車の中で』と題され『芸大通信』に掲載されたもので
あります。『演劇科通信』では、63ページに載っています。
電車の中、今は公共マナーやモラルが試される場所になりつつありますが、
秋浜先生はそんな電車での楽しみ方をこっそり伝授して下さいました。
電車の中で
電車で座席にすわらないようにとすすめている。
吊り革にぶら下がらない、何にも寄りかからない。重心を保ち、揺れへの
反射力を高める。腰のバネが強化され、その機能性は2本足の立ち姿の
美しさにつながる。もう一つ、電車の中では、新聞雑誌、本、マンガなどで
時間をかせがないようにしたい。
その分、乗客の生態を観察しよう。場所移動のこの合い間、
人は意外に警戒心をほどいている。つまり隙だらけ、本能のようなものが
剥き出しになっている。たとえばゴヤの人物のそっくりさんたちが
グロテスクに実際にとぐろを巻いている。この覗き見が公然と許されて犯罪に
ならないのだ。ピントを合わせた表情を透して、その生活史を
浮かび上がらせる。物語の勉強には、またとない機会である。
人を見るとは、人に見られることでもある。見られて何ぼ、もまた
電車の中で磨かれるであろう。
(番外。大阪芸大 『芸大通信』1997.10.25 28号)
この文章が『芸大通信』に掲載された当時、ボクは大阪芸大の一回生でした。
そして、はじめて『芸大通信』でこの文章を拝読した時は、本当に驚き、
大変感動し、早速切り抜き、手帳に貼り付け、持ち歩いて喜んでおりました。
また、「この教えを守れば立派な役者になれるに違いない」と確信し、
実践して遊んでいました。
今更ながら、もっと真剣に実践し、守り続け、努力すべきだったと
反省してしまいます。そうしていれば立派な役者になれたに違いないんです。
「犯罪にならない覗き見」は今でも楽しく実践していますが、この頃なんて
電車の座席にはどっかと座り、その殆どを寝て過ごし、なんなら降りたい
駅さえもすっ飛ばし、降りたこともない駅で慌てて飛び降り、落ち込みながら
今来た道を戻ることがしばしばです。
「人を見るとは、人に見られることでもある」
寝顔ばかりをさらしても仕方ないので、また挑戦してみようと思います。
せめて、宝塚―西宮北口間くらいは……。
(2010年11月26日)
悟史の楽書き 第一回
まず、このページタイトル 『悟史の楽書き』が、なぜ「楽書き」なのかを書いて
おくべきでしょう。2002年(平成14年)に本校が発行した『演劇科通信~宝塚北高
演劇科の記録~』という196ページからなる読み応え充分な冊子があります。
その中の『劇表現・楽書き』は「その1・その2」(前置きとエピローグもある)
の二部構成。ここのタイトルは、その「前置き」の中から拝借し命名しました。
秋浜先生には本当にたくさんお酒をご馳走になりました。もちろんお酒だけでは
ないのですが……。そして、お酒の席で先生がふと仰る言葉が心に響き、泣き出
しそうになることも度々でした。いつだったか先生が「真実は本(戯曲)の中に
しか書かない」と仰り、また「いいこと云ったなぁ。メモしておきなさい」と
云われたことがありました。それからというもの私は先生とお酒をご一緒する
ときは必ず手帳を懐に忍ばせていました。いま読み返してみると同じように感動を
覚えるもの、ひとり吹き出してしまうもの、全く意味が理解できないものなど様々です。
少々長くなりますが、『演劇科通信』より「前置き」の全文をご紹介します。
前 置 き
書くべきでないところへ悪戯をするのが、落書きだ。そんな思いで、見かけ倒しに
なってもかまわない、とした。もっとも、落書きは「楽書き」とも漢字を当てるらしい。
これが大いに気に入った。気楽に、奏で、楽しむとしよう。
2部構成に体裁を取り繕った。その1は「劇表現」を云々するようになって、ことに
当たってここまでは共通認識が持てるように、とメモの形で協働のリーダーたちに
振り撒いたもの。たとえば、演劇用語についてなど。まとめ方に、それほど意味はな
い。手当たり次第の、投げ出しっぱなし。すぐ脱線したがるし。「劇表現」の前提に
なるはずの内部資料のつもりだったので、お家の事情もあり、すこぶる独断的で、
確信犯に近い。
その2は、ほんのときどきながら、宝塚北高等学校『演劇科通信』に書き散らして
きた感想その他を、15年を超える時間列に並べ、おいてみた。また、ほかに発表
した雑文から、関連あるとしたい何篇かを、番外として採録した。
その1・その2とも、部分的に適宜加減乗除、推敲を施した。さほど、代わり映え
してないようだ。
不定期ではありますが、これから更新していきますのでお楽しみ下さい。
(2010年元日)